私、名前を海郎(あろう)と言います。
4歳の時に北海道 静内町(今の新三石町ですか?)に移り、その後は苫小牧、函館と高校を卒業するまで北海道で育ちました。
で、なぜ親類もいない北海道に住むことになったかというと、高校の国語教師の父親がわざわざ北海道に赴任希望を出したからです。
で、なぜ父親は北海道に住みたいと思ったかというと、競馬が好きだったからです。
1969年から1971年くらいに活躍した競走馬にアローエクスプレスという馬がいまして、父親はこのアローが大好きだったんですね。
アローへの熱い思いは、1971年に引退した後も衰えず、ついには長男に「アロー」と名付けるまでに昇華してしまったわけです。
音が最初に決まっていたので、漢字は届出直前まで「阿郎」だったそうですが、何とか知恵を振り絞り、「海女(あま)」からひねり出して、「海郎(あろう)」としてくれたそうです。
で、アローエクスプレスは引退後に種牡馬として大成功を収めるのですが、父親はアローがいた牧場から車で1時間もかからない静内町に高校教師として移住しました(父親は「静内町に決まったのは偶然だ」と主張しています)。
父親は静内町に移ってすぐにアローのいる牧場を訪れ、私に「これがお前の名前を取った馬だぞ」と紹介してくれたのですが、その後もこの牧場主さんと懇意になり、しょっちゅう遊びに行くことになります。小学4年生の時には、従兄弟と一緒にこの牧場に1週間預けられて、牧場体験をしたりしました。
父親は国語の教師だったので、ちょっとした文章なら書けました。で、高校教師のかたわら、「優駿」という競馬雑誌に時折コラムを寄稿していたんですね。東京から「優駿」のライターが来ると一緒に牧場を巡り、「こいつ、アローっていうんですよ」と私もよく連れ回されました。1970年代の「優駿」の掲載写真には、幼い私が結構な頻度で載っています。
これが私の6歳くらいまでの人生です。「海郎」と付けてもらった瞬間から、名前に導かれていったような幼年期ですね。ちなみにこの名前を読めた人は、これまで一人もいません。小さい頃は、自分の名前の読み方を言わなければならないのが恥ずかしかったのですが(由来は?などと聞かれると幼い私には説明が複雑すぎて地獄でした)、今は初対面の人とも、名前の話で10分は持つので気に入っています。
2月に札幌に引っ越して落ち着いたら、夏にでも静内町を訪れようと思っています。