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w closet×JUGEM

翻訳

考察スレ

皆さんは、ネットの掲示板を見ますか?

2ちゃんねるとかが代表的なものだと思いますが、私はついつい見てしまいます。

 

中でも、映画、アニメ、マンガの考察スレは、だらだらといつまでも読んでしまいますね。

考察スレとは簡単に言うと、映画やマンガの世界観について、ごく小さなセリフや描写から想像を膨らませたり、ストーリーや世界観の矛盾点を見つけ出しては悦に入ったりするものです。「ロード・オブ・ザ・リング」「スター・ウォーズ」「攻殻機動隊」「サイコパス」などの考察スレは、一度開いてしまうとなかなか抜けられません。

 

私が初めてネットの考察スレというか、掲示板というものに触れたのは、デヴィッド・リンチ監督の「マルホランド・ドライブ」の考察スレでした。まだダイヤルアップなるものでネットに接続する時代で、お目当てのサイトにたどり着いたら、いちいち接続を切って通信料を節約していたという時代の話です。15年以上前ですね。

マルホランドドライブ

掲示板では、「マルホランド・ドライブ」の映像に仕掛けられた象徴的意味について、いろんな人の投稿があって、質問、反論、意見交換などがやり取りされていました。職業としてものを書く人が出版社を通して世に出すのではなく、一般の人の投稿が積み重なって、1冊の本と同等かそれ以上の価値があるものが作られるという事実に衝撃を受けました。

その後、「ジョジョの奇妙な冒険」の考察スレをみつけて、人生で唯一、掲示板への投稿を繰り返していた日々がこの時期です。今は考察スレを眺めるだけですよ。

 

私が「マルホランド・ドライブ」や「ジョジョ」の考察スレを見ていたのが20代前半ですから、同世代の人たちもネットの掲示板の薫陶を受け、そういったものが文化として根付いた時期を駆け抜けたのだと思います。そして現在、その世代が世の中に何かを発表するのにちょうどいい年齢になってきました。映画監督も脚本家もアニメ監督もマンガ家も今が旬の3040代の人たちは、多かれ少なかれ1020代の頃にネットの掲示板なる通過儀礼を経て、もの創りを始めた人たちです。

ジャネット・ジャクソンの「リズム・ネイション1814」から10年後に宇多田ヒカルが「First Love」を発表したように、新しい文化をDNAレベルで吸収できるのは若者に限りますし、その若者の世代が世に何か発表できる年齢になるまでの時間が、文化の成熟期間と呼ばれるものだと思います。

リズムネイション

 

ネットの掲示板世代がものを創るようになると何が起きるのか?ネットの掲示板や考察スレを意識した作品が生まれるのです。

 

翻訳者が誤訳を指摘されると泣きそうになるのと同様に、映画・ドラマの脚本家やマンガ家はストーリーや世界観の矛盾を指摘されると、きっと落ち込むのだと思います。矛盾のないようだらだらと説明を続けることが物語の勢いをそぐことになるのが分かっていても(あるいは分かっていなくても)、考察スレで自分の作品の矛盾を指摘されることが気になる人はいるのでしょう。

「進撃の巨人」の作者は、その典型だと思います。1989年生まれで、もろネット世代ですし、Wikipediaには、「ネットを見るのが趣味で、自作の評価なども常にチェックしており、ファンからの意見や指摘を参考にすることもある」とあります(いかんだろ…)。アニとの戦いまでは(すみません。「進撃の巨人」を読んでない人には何の話だか分かりませんね。)、どんどん先が読みたくなるテンポのいい物語なのですが、考察スレが大きくなり始めた頃から、まるで考察スレの住人を説得しようとしてるかのように世界観の解説をするような描写やセリフが多くなり、私は読むのをやめてしまいました。

 

最近のドラマに字幕をつけていると、同じように脚本家が「これは矛盾ではありませんよ」と予防線を張ってるような、あるいは矛盾を避けるための後付けのセリフが多く見受けられるようになってきました。言い訳めいたセリフなので、唐突で、意図を理解するのに苦労するのが特徴です。たとえ理解できても、字幕の文字数制限の中で言い訳を全部説明するのは、ほぼ不可能です。

 

先日も犯罪ドラマを翻訳してる時に、こんな会話がありました。

 

捜査官A:犯人の似顔絵を公開したところ、○○夫妻だという情報が入りました。

捜査官B:確かか?

捜査官A:犯行現場にあった携帯が売られていた店舗が、○○夫妻の住所から車で1時間の所です。

 

まず“犯行現場にあった携帯”ですが、2話前の現場検証の場面では全く触れられていない話題です。もちろん購入された店舗を調べたなんて話は出てきません。

これって1行目で終わればいい話じゃないですか?

 

A:犯人の似顔絵を公開したところ、○○夫妻だという情報が入りました。

B:よし、踏み込むぞ。

 

ドラマなんだから、これでいいじゃないですか?捜査の裏付けを1から10まで知りたいわけじゃないので、さっさと犯人のところに踏み込みましょうよ。

しかも最後の「犯行現場にあった携帯が購入された店舗は、○○夫妻の住所から車で1時間のところです。」というセリフは2秒くらいです。これまで話題にも上らなかった携帯に関する捜査のことを8文字でまとめろなんて無理な話です。

 

翻訳する際に最後の1の意図をいろいろ考えてみましたが、やはり考察スレで矛盾を突かれるのが嫌だったとしか思えません。

つまり、「似顔絵なんか公開したら、全国からごまんと目撃情報が入ってくるはずだ。何で都合よく○○夫妻の情報が正しいと判断できるんだよ!」というツッコミが嫌だったんでしょうね。それで、これまで全く触れていなかった携帯電話を無理やり持ってきて、「携帯が売ってた場所が○○夫妻の住所に近かったから、他の情報より有力視されたんだよ」という理屈をひねり出したわけです。

 

そして今度はこの一見唐突なセリフの意図に気づいた人が嬉々として、そこから導き出される理屈の解説を考察スレに投稿するわけです。作り手と考察スレの住人の間だけのキャッチボールです。2話前のエピソードの現場検証で携帯を回収して、「販売された店舗を調べとけ」みたいなセリフがあれば、完璧だったんでしょうね。考察スレの住民を喜ばせる質の高い脚本の要素の1つとして、“伏線の回収”というのがあります。何気ない描写が後々意味を持ってくるというのは、異常なほどに考察スレの住人を喜ばせます。逆に伏線が回収されなかったり、伏線を張らずに唐突に意外な人物を犯人に仕立てたりすると、考察スレの住人は異常なまでに憤慨します。

 

ただ伏線を張ったり、完璧に矛盾を避けたりすることは、ドラマの脚本ではほぼ不可能ですね。時々、脚本家のインタビューやコメンタリーを翻訳すると、ドラマの脚本というのは複数の脚本家による分業作業であり、毎週の締め切りに追われるやっつけ仕事であることが分かります。シーズンが始まる前にすべての話が決まってるわけではありませんし、ひょっとしたら大まかな結論でさえ決まっていないのかもしれません。そして打ち合わせの中で、割と思いつきで脚本を書き進めているのが分かります。「来週あたり彼女を裏切り者にしたら、視聴者もあっと驚くんじゃね?」「じゃあ、来週の分はその線でいこう」という感じです。意外な黒幕というのは、ほんの1話前まで裏切り者になる予定はなかっただけに、矛盾だらけになるのですが、そこで矛盾してると言われたくないから、いろいろ捻り出してきます。「24」シーズン1のニーナなんかがその最たる例ですね。シーズン終盤に駆け込みで黒幕にされた感がありありと見えます。

 

とにかく矛盾を避けようと、唐突な説明セリフをねじ込んでくるのはやめてもらいたいものですね。字幕翻訳者の身にもなってもらいたいです。唐突なセリフの意図を見極めるのにまずひと苦労ですし、見極めてもとても文字数内に収まりません。

少しくらい矛盾があっても、キャラクターに魅力があって、話のテンポがよければ気になりませんよ。お願いですから、クリエイターは考察スレなんて気にするのはやめてください。

 

  • 2015.11.29 Sunday
  • 18:03

スクール

札幌国際短編映画祭授賞式

1011日(日)の夜、札幌国際短編映画祭の授賞式に行ってきました。

アワード

 

今回は、長男が子ども審査員を務めたので、家族総出で会場に向かいました。

アワードの結果は、映画祭の公式サイトに載っています。

http://sapporoshortfest.jp/15/awards/
 

長男が審査に参加したチルドレンショート賞は以下の3作品。長男が推していた「オーシャン・メイカー」は銅賞に食い込みました。

 

最優秀チルドレンショート賞 「グンター」

 

チルドレンショート銀賞 「プレゼント」

 

チルドレンショート銅賞 「オーシャンメイカー」

 

さっぽろ字幕翻訳スクールの卒業生が担当した作品では、以下の4作品が賞を獲りました。

 

最優秀アジアンショート賞 「溺境」

 

最優秀脚本賞 「真実の父」

 

最優秀撮影賞 「決戦の日」

 

最優秀女優賞 「ミセス・アルベルティーヌ」 アレクシ・ファン・ストラトゥム

 

ショートフィルムとはいえ、「真実の父」と「決戦の日」は、冒頭のセットアップが一度壊されて、意外な展開を見せていくという点で脚本の妙を字幕で伝えなければいけませんし、「ミセス・アルベルティーヌ」と「溺境」は登場人物の感情描写が勝負の作品でした。「ミセス・アルベルティーヌ」は、老いらくの恋を通して生きることの喜びや戸惑いといった感情が短い時間の中で押し寄せてきますし、「溺境」の子供の不安な心情は本当に心に突き刺さります。

 

一気にいろんなタイプの映画の字幕を作ることになるので、字幕翻訳の基本を見つめ直すという点では、いつも本当にいい機会になります。短編映画は100200枚のハコなので、経験の浅い字幕翻訳者の方にとってももってこいの勉強になりますね。
 

最後の集合写真で審査委員長の大林宣彦監督の前に図々しく陣取る長男。

カメラマンさんの「もっとはしゃいで」の一言に、いち早く反応しピースサインをすると大林監督に頭をなでてもらいました。
こういう経験ができるので、映画祭と相撲の巡業は最高ですね!
集合写真
 

早くも2016年の札幌国際短編映画祭が楽しみです。

  • 2015.10.13 Tuesday
  • 15:05

スクール

札幌国際短編映画祭 子ども審査員

今年も札幌国際短編映画祭の季節が迫ってきました。

107日(水)から1012日(月・祝)まで、6日間の短編映画の祭典です。

10回を迎える節目の年に、昨年に続き、さっぽろ字幕翻訳スクールの卒業生が字幕翻訳を担当します。

短編映画祭

 

まだ駆け出しの翻訳者さんたちにとっては、劇場で上映される映画に字幕をつけられる貴重な経験。私自身にとっても、卒業生の方と一緒に作業をし、さらに普段の仕事とは毛色の違う映画を見られるということで、本当に楽しみにしています。

 

さて、一足先に札幌国際短編映画祭を楽しむべく、先日 長男を映画祭の子ども審査員賞の審査会に送り込みました。

http://sapporoshortfest.jp/blogs/news/2014/07/post-113.html

 

小学1年生から小学6年生くらいまでの子どもが集まり、14本の短編映画を見て、グランプリを選出します。

映画はどれも基本的にアニメーションですが、テーマやキャラクターはなかなか重厚で、大人が見ても楽しめるものです。

 

昨年のグランプリに輝いた「ダム・キーパー」は、何とアカデミー賞短編アニメ賞にノミネートされています。

http://www.oricon.co.jp/news/2048989/full/

http://sapporoshortfest.jp/14/awards/

ダム・キーパー
 

 

テーマは大気汚染と子どもの純粋な心。なかなか見ごたえがありますよ。

 

長男がイチオシだった作品は、惜しくもグランプリを逃しましたが、話し合いの中で堂々と意見を言うことができて、満足したようです。

やたら満面の笑顔なのが長男です。

子ども審査員
 

思えば、私も小学生のころは、母親が大好きだった「刑事コロンボ」とジェレミー・ブレットの「シャーロック・ホームズ」を一緒に見て、外国映画の薫陶を受け、レンタルビデオ店の時代が到来した中学生の頃は、毎週土曜日に映画を2本レンタルしてくるのが私の家族内での役割でした。1本は母親に頼まれたもの、もう1本は自分の好きなものを借りていいというルールでした。ノートに自分の好きな映画ベスト10とかを書いてましたね。新しいのを見て順位が入れ替わると、今のようにコピペはできない手書きのノートなので、せっせと消しゴムで消して、書き直してた記憶があります。不動の1位は「ベスト・キッド」でした。他には、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」「プロジェクトA」「トップガン」「アウトサイダー」など。

ベストキッドなど
 

月に1本の映画代と映画雑誌の「ロードショー」を買うお金もお小遣いとは別にもらっていました。当時は、2本立てとかで上映してましたからね。「トップガン」と「オーバー・ザ・トップ」とか、「プラトーン」と「霊幻導士3とか。私の映画好きは母親に育てられたもので、今でもWOWWOW1日中映画を見てる母は、字幕翻訳の名前に私を見つけると、感想をメールで寄越してくれます。

トップガンなど
 

自分の好きなものは、やはり子どもに伝えたくなるものなんですね。とりあえず、映画祭の後は、息子を連れて札幌ドームで野球観戦です。

  • 2015.09.18 Friday
  • 06:42

一般

夏到来!

1週間以上、曇り空が続き、7月に入っても半袖が着られない日が続いておりましたが、やっと晴れました!


佐々木果樹園 
 

定山渓の佐々木果樹園です。

 

天気の悪い6月にいちご狩りは終わってしまい、今日はさくらんぼ狩りです。


さくらんぼ狩り 

 

おみやげは、奥さんがジャムとチーズケーキにしてくれるそうです。

さくらんぼ
 

 

最後は釣り堀で釣ったニジマスの塩焼き。

魚
 

 

10時ごろに家を出て、3時ごろに帰ってきました。

朝起きて、「今日は何しようか?」という感じで、果物狩りでも、小樽の寿司でも、スキー場でも、おおよその遊びにアクセスできるのは、本当に札幌に来てよかったなぁと思うところです。

 

これから夏本番となってくれるといいですね。札幌に来て3年が経ちましたが、子供の頃の夏の長い夜の記憶がよみがえってきました。7月〜8月半ばくらいは、8時近くまで外が明るいんですよね。小学生の頃は、晩御飯を食べ終えた後に、7時くらいに再び近所の友達と集まって、夕涼みに出てきたお母さんたちが見守る中、8時半くらいまで缶蹴りとかをやっていた記憶があります。花火をやりたければ、9時過ぎくらいまで待たなくてはなりません。

 

さらに緯度が高くなると、ほぼ白夜のような状態になり、ロンドンにいた頃は、夏は9時過ぎまで明るかった記憶があります。日本食レストランでバイトをしてたんですが、閉店時間が近くなり、表の看板をしまいにいってもまだ明るいんですよ。逆に冬は3時過ぎから暗くなります。北欧の照明器具が素敵なのもうなずけます。

 

今年も北海道の夏、満喫しようと思います!

  • 2015.07.05 Sunday
  • 17:48

一般

日本人にとっての法律・憲法

日本人というか中国文化圏の東アジア人って、どうしても法律とか憲法というものがDNAレベルでは理解できないようですね。今日もそんなため息交じりの感想を持ってしまうような、政治家の発言がありました。

 

神との契約(約束)を柱にしたキリスト教徒がその契約を俗世向けに焼き直した法律と、それを輸入し、もとからあるそれらしきものと折り合いをつけながらできあがった東アジア人の法律では、やはり決定的な違いがあります。

それは、キリスト教徒が人間の上位に神(法律)を置くのに抵抗がない(むしろそれが自然である)のに対して、東アジアの仏教、儒教、自然信仰などはいずれも基本的に人間の上位に位置する存在を定義していません。ですから、キリスト教徒にとっては、法律は人間の上位に位置しますが、東アジアでは人間が法律の上位に位置します。これが決定的な違いです。

 

以前、「ソプラノズ」というマフィアにも日常生活があるという視点で描かれ、大ヒットしたドラマにこんなエピソードがありました。

 

警察が主人公のマフィアのボスの家の電話に盗聴器を仕掛けることになったのですが、捜査の根拠が弱いということで、裁判所から盗聴は1日1時間に限定という命令を受けます。

マフィアのボスの家の向かいに作戦本部を設けた警察は、室内に1時間をカウントダウンしていく大きな電光掲示板を設置します(このへんはドラマですから視覚的に分かりやすくということですが)。ある日の盗聴で、捜査の核心に迫る会話が始まり、小躍りする捜査陣。しかし、盗聴の残り時間も1分ほどしかありません。「早く話せ〜!」と絶叫する捜査陣をよそに、あと10秒もあれば証拠となる会話を録音できるというところで、電光掲示板が時間切れを知らせ、捜査陣は「チクショー!」と叫びながら、盗聴をやめてしまいます。

 

どうです?おかしいと思いません?

そうです、東アジア的感覚でいえば、この捜査陣の行動は理解できません。犯罪者を捕まえる確実な証拠が目の前にあるのに、何でたかだか10秒くらいを気にしちゃうのと。犯罪者を捕まえることより優先されることなんてあるの?という感覚です。

しかし、キリスト教徒にとっては、裁判所からの命令(つまり神の命令)は、犯罪者を捕まえるという俗世の人間活動より上位にあるわけです。

 

次は日本の有名な裁きのお話です。多くの方がご存じだと思いますが、「大岡裁き」という話です。

 

ある身寄りのない少年の母親だと主張する女性が2人現れ、話し合いでも決着がつかないため、大岡越前守に裁定が任されます。そこで大岡越前は、「少年の腕を片方ずつ両側から引っ張り合い、自分のほうに引き寄せたほうを母親と認めよう」と言って、2人の女性に少年の腕を引っ張らせます。

 

本物の母親のほうは、引っ張られて「痛い!」と泣き叫ぶわが子の姿を見て、思わず手を離してしまいます。偽者の母親が少年を連れ帰ろうとすると(少年を引き取ればカネになるという動機があったかと思います)、大岡越前が「ちょっと待て」と制止します。「泣き叫ぶ少年の腕を思わず離したのは、本物の母親の愛情がなせる業、ゆえに本物の母親は手を離したほうである」と裁定を覆します。

 

どうです?いい話でしょう?名裁定でしょう?

これが東アジア人の法律に対する感覚なんです。つまり、情愛や情緒といった人間活動が法律より上位にあるんですね。

 

この話をキリスト教徒にすると、全く異なる反応が返ってくるでしょう。

「なぜ裁判官は自分が定めたルールを、こんな主観的な感覚で簡単に覆せるんだ?」

「引き寄せたほうが本物というルールなら、たとえわが子が腕が痛いと叫んでも、自分の元で大切に育てたいという思いで、引っ張り続けるのが本物の母親だ」

「こんなの控訴すれば、余裕で勝てるよね?」

「何で日本人は、この話を美談だと思うわけ?」

と、まあざっとこんな感じでしょう。

 

よく日本は治安がいいというふうに言われますし、実際そのとおりだと思います。東日本大震災の時も、あれだけの危機的状況にありながら、整然と列を守って物資を受け取る人々の姿に海外から称賛の声が上がりました。

しかし、あれは日本人が法律を尊重する民族だからではありません。あれは日本人が秩序を尊重する民族だからです。もっと言えば、自分の知ってる人、目の前にいる人に迷惑をかけてはいけないという発想がDNAレベルでしみついているからです。

日本では、自転車泥棒や傘泥棒があとを絶ちませんが、誤解を恐れず言えば、これらの行為は社会の秩序を乱すようなものとは言えません。自転車・傘の持ち主は自分の知らない人ですから、窃盗という犯罪行為への一線も比較的簡単に超えてしまうのです。

列に横入りすることは、道義的には問題がありますが、犯罪行為には当たらないと思います。しかし、窃盗は立派な犯罪です。それでも、日本人は列に横入りするような秩序を乱す行為は絶対にしなくても、知らない人の傘を盗むという法律を破る行為は、平気でやってしまうというわけです。

 

何だか自虐的な話になってしまいましたが、そんな気分になってしまうニュースがなくなることを願います。

  • 2015.06.09 Tuesday
  • 15:54